大分県と福岡県を分つ山国川。
そのほとりにある平田地区は、
急峻な地形の多い耶馬溪の中にありながらも、
田園が広がる地域です。
平安時代の伝説を持つ久福寺の岩窟や、戦国期の平田城跡。
平田邸、旧耶馬溪鉄道、馬溪橋などの近代歴史遺産とともに、
この旧平田郵便局もまた、大正・明治・平成・令和と
移り変わる時代とともにこの平田の地にありました。
この建物は、大正14年(1925年)に建てられた木造2階建ての郵便局舎。
建築当時、周辺では製材が盛んで、
今ではなかなか手に入らない材料も使われながら、
地元の大工さんたちの手によって建てられました。
当時、局舎のすぐそばに町役場や農協、耶馬溪鉄道の平田駅があり、
平田地区は町の中心地として人々の活気が溢れていたそうです。
左隣の魚屋さんではアイスキャンディーが売られ、
右隣の食堂では晩酌で賑わった声が響いてくる。
汽笛が近づいてくると、郵便局の前をいそいそと走っていく乗客たち。
町の真ん中で、郵便局は人々の暮らしを繋ぎ、見守ってきました。
昭和に差し掛かり、自動車が普及していく中で耶馬溪鉄道は廃止され、
郵便局自体も体制が変わっていく中で、
当時の運営に見合った別の局舎が建てられ、この建物は郵便局としての人生を終えました。
本来の仕事を終えた後も、
ある時は『プードリアン』という名の雑貨とカフェのお店として、またある時は、
複数の作家さんが集う『temporary』という人々が集う場になるなど、
この場所に思いを馳せる様々な人々により引き継がれた大正時代の平田郵便局。
いつしか「旧平田郵便局」という愛称で呼ばれるようになっていました。
そう。この名前は、いつしか誰かが付けていた名前だったのです。
数万年という歳月の中で変わらないものと、時代と共に移り変わっていくもの。
そんな中で大切にしていきたいのは、
心地よい風を感じられる人の温もりと穏やかな時間。
ゆっくりと余生を楽しむかのように耶馬溪を見守ってくれている優しい空間を、
これからも残していきたいですね。